うきは市災害史

 

 うきは市は,筑後川とその支流の巨瀬川,隈上川が流れ,毎年のように洪水に見舞われてきました.明治以降では,明治22年(1889),昭和28年(1953)に大規模な洪水で甚大な被害が出ています.また,南側に急峻な耳納山地があり,その山麓では大規模な土石流災害が起こってきた歴史があります.多くの犠牲者を出した享保5年(1720)の大規模土石流災害(享保5年7月九州北部豪雨)をはじめとして,享和2年(1802),嘉永4年(1851),昭和21年(1946),昭和28年(1953)にも被害をもたらしました.

 これまで河川改修,ダムや砂防堰堤などの建設が進められ,江戸時代に比べると災害は減っていますが,近年は災害が激甚化する傾向にあります.将来は間違いなく地球温暖化が進むことを考えれば,想定を超える豪雨と災害の発生が懸念され,地域ぐるみで防災力を強化する取り組みを根気よく続けていく必要があります.下記に,うきは市に関連する災害の歴史(旱魃、火災を除く)を列挙したので,ご活用下さい.


参考資料: 吉井町誌第一巻(昭和52年),吉井町誌第三巻(昭和56年),福岡県災異史(福岡測候所、昭和11年)
      福岡県近世災異誌(平成4年),国土交通省九州地方整備局HP,朝日新聞聞蔵ビジュアル


注意: 江戸時代以前は旧暦表記,明治時代以降は新暦で表記しました.また,下記の年表作成に使用した吉井町誌には災害が起こったかどうか不明な事例,出所不明な事例が含まれていますが,そのまま掲載しています.また,被災地は,周辺地域を含め,ある程度の広がりを持っているので,必要に応じて,うきは市以外の地域の内容を記載しています.

 

元号(西暦) 被害内容
天武 7年(679) 筑紫地震:日本書紀に記された筑紫地震.幅6m,長さ10kmの地割れが発生,家屋の多くが倒壊,マグニチュード6.5~7.5と推定されている.耳納断層帯の地震と考えられる.
天正 6年(1573) 5月大雨・洪水で家が流失し,多数の死者を出す.
慶長19年(1614) 5月6日から7日にかけて,洪水13回に及ぶ.
寛永12年(1635) 7月27日大暴風雨,この風,百年以来の大風になる.
万治元年(1658) 8月大雨風で巨瀬川が氾濫して,人と馬が多く流される.
万治2年(1659) 7月大雨巨瀬川大氾濫.堤防決壊で溝尻村20軒流出,大生寺で山崩れ,田畑荒廃する.
寛文 7年(1667) 3月22日の洪水で完成して間もない高田堰が破壊される.
寛文 8年(1668) 5月17日の大洪水で畑が被害を受ける.高田堰再度破壊される.
寛文 9年(1669) 8月11日の筑後川大洪水で上三郡の堤防が決壊し,田畑が荒廃、人畜に死傷が多かった.早田村が浸水する.その折,大石水道が破損したため,上郡の民衆が総出で修復を行った.
延宝元年(1673) 5月17,18日,大雨で筑後川と巨瀬川洪水,土手が崩れて,多くの人と馬が漂流する.
延宝2年(1674) 6月1日から4日まで大雨洪水で用水路が埋没する.
天和3年(1683) 閏5月17日洪水が発生し,生葉郡5つの村の16ヶ所で土手が切れる.
元禄4年(1691) 6月阿蘇山爆発で雨の如く石降ってくる.
元禄6年(1693) 1月22,23日,梅の大きさに匹敵する雹が降り,小鳥が死ぬ.
元禄9年(1695) 2月1日,3月13日地震,14日に地震と大風が起こる,7月4日大雨で山汐洪水,瀬ノ下で水位が床上2丈(約6m)に達する.耳納山筋で山崩れ,巨瀬川で氾濫が起こる.
元禄9年(1696) 2月1日,3月13日地震,14日に地震と大風が起こる,7月4日大雨で山汐洪水,瀬ノ下で水位が床上2丈(約6m)に達する.耳納山筋で山崩れ,巨瀬川で氾濫が起こる.
元禄15年(1702) 1月1日大雨,前年から降り続いた雨で15日に洪水となる.2月26日に地震が起こる.
宝永2年(1705) 3月より年末まで地震が続く.閏3月4日地震,20日,4月1日,翌2日大地震.
宝永3年(1706) 10月22,23,24日地震.
宝永4年(1707) 10月4日夜半大地震が起こる.これは,東海・東南海・南海にあるプレートが同時に動いた南海トラフ大地震(宝永大地震)で,九州東部沿岸部で深刻な津波被害となる.その2ヶ月後に富士山が噴火する.この地震で所々被害があり,山辺の村で家が崩れ死者が出る.
宝永5年(1708) 正月元日大風大雨,2月2日大雨洪水,4月3日の大雨は7日まで続き,洪水数度に及ぶ.
正徳元年(1711) 5月に3回の洪水が発生する.
正徳3年(1713) 7月13日大風で大木倒れる.柳川で高潮が発生し,堤防が決壊,349人の溺死者を出す.
享保2年(1717) 6月1日大雨で耳納山が崩れ,巨瀬川筋で洪水が発生,吉井が浸水する.
享保4年(1719) 5月19,20日,宝永5年以来の洪水となる.
享保5年(1720) 6月21日山汐洪水起こる.江戸時代筑後国で起こった最大の災害で,筑前博多,豊前小倉,肥前佐賀・基山,豊後日田も大きな被害となる.耳納山系では山崩れ7,737ヶ所,特に,屋形村,安富村,延寿寺村,妹川村の山汐(土石流)の被害が大きく,死者61人に達する.巨瀬川氾濫で溝尻村,朝田村など多くの村が浸水被害を受け,高橋大明神が流出する.また,屋部村と流川村の境界に位置する深迫谷からの山汐が巨瀬川の氾濫を誘発し,大村全域が土砂で埋没する.
享保6年(1721) 4月21日大雨大水,6月11日大雨洪水で巨瀬川が氾濫して田畑に泥砂が入り,大きな被害となった.
享保8年(1723) 11月21日大地震(柳川地震)で瓦落ち,寺の石塔倒れる.
享保11年(1726) 4月22日大雨洪水.5月20~22日大雨洪水で筑後川と巨瀬川が氾濫する.
享保14年(1729) 8月19日大雨風.9月13日大風で大木倒れる.
享保17年(1732) 5月6日より雨が降り続き,5月9日,5月26日に洪水となる.
享保19年(1734) 5月24日から6月16日まで雨が降り続き,所々洪水となる.
元文3年(1738) 5月と6月に2回の大雨洪水があり,長野水道が破損する.
寛保2年(1742) 5月30日,6月1日大雨洪水,7月末まで洪水33回記録する.
寛保3年(1743) 8月13日大風で吉井町含め4,500棟破損する.畑の被害も多かった.
延享2年(1745) 7月5日大雨洪水で長野堰大破する.筑後川,巨瀬川,隈上川で洪水被害が起こる.
寛延3年(1750) 5月4日,6月4,7日洪水,8月22日大風.
宝暦5年(1755) 5月27日大雨洪水が起こり,生葉郡では山汐(土石流)の被害が出る.6月2日筑後川洪水,5日には最大で約5.4mの水嵩に達する.8月24日暴風雨よって藩内の被害が大きく,特に生葉,竹野,山本,上妻,下妻の被害が大きかった.溝尻村で1名死亡,浮羽島の逆杉が倒れる.
明和2年(1765) 6月16日暴風を伴う大雨で筑後川,巨瀬川が氾濫する.瀬ノ下水位約6mを超えて,長野堰が大破する.
明和4年(1767) 5月筑後川洪水,6月7日大雨で久留米城下が浸水(宮地 水位約6m)する.
明和6年(1769) 6月7,8日の大雨洪水で吉井町一帯が浸水する.27日には巨瀬川が氾濫して堤防が決壊する.
安永5年(1776) 4月14日大雨洪水で巨瀬川が氾濫する.溝筋(側溝・水路)が破損する.5月24日享保5年以来の大洪水で柳野川(隈上川)の氾濫が甚だしかった.また,筑後川の氾濫もあり,長野水道が越水,洗堀が起こったが,土俵を積んで応急措置をした結果,何とか堤防の大破を防いでいる.
安永6年(1777) 7月25日暴風雨で巨瀬川が氾濫する.
安永8年(1779) 8月3日より大雨,5,6日筑後川,巨瀬川洪水.久留米城下は浸水して水嵩約3m上がる.
安永9年(1780) 5月30日暴風雨で巨瀬川が氾濫し,吉井とその近隣で浸水被害が起こる.
天明4年(1784) 5月26日筑後川大洪水,小江村で水位約6.3mに達する.
天明8年(1788) 6月3日巨瀬川が大氾濫して吉井町が浸水する.筑後川でも大洪水が起こり,堤防が所々破損する.
寛政3年(1791) 6月12日筑後川と巨瀬川が大氾濫して,吉井町とその近隣が浸水する.
寛政6年(1793) 4月11日増水中に大石水道番人の諌山金吾さんが作業中に不慮の事故で死亡する.
寛政7年(1794) 数日間降雨が続き,5月26日大雨で筑後川,柳野川(隈上川)が大洪水.大石堰所々破損する.
寛政8年(1795) 5,6月筑後川,巨瀬川,隈上川の洪水で各所が破損,星野山で山潮(土石流)が発生する.
享和2年(1802) 5月25日大雨,耳納山麓の上・中・下泉村から流川村まで数十ヶ所で山が抜ける(※年代記:塩足村庄屋記録).特に,安富村と屋形村では死者がなかったものの享保5年以来の被害となる.6月1日,巨瀬川,小塩川で洪水が起こり,吉井町が浸水する.
文化元年(1804) 5月15日筑後川洪水.8月29日大風で潰家多く,風が止んだ後の大雨洪水で吉井町が浸水する.
文化7年(1810) 5月20日巨瀬川の洪水で作物の被害が多かった.
文化11年(1814) 7月14~16日大雨洪水で巨瀬川氾濫し,吉井町が浸水する.
文化13年(1816) 6月15日洪水で,筑後川,巨瀬川,隈上川で被害が出る.
文政5年(1822) 5月18日巨瀬川大洪水.6月も巨瀬川大氾濫で堤防決壊し,吉井町とその周辺が浸水する.
文政11年(1828) 7月2日大風,その後5日まで洪水が起こり,筑後川,巨瀬川,隈上川で被害が出る.8月9日,シーボルト台風による高潮で佐賀,博多は大きな被害となる.佐賀藩領だけで死者が一万人に達する.浮羽郡では,死者13人,潰家233棟の被害が出る.
天保7年(1836) 6~7月度々洪水となり,山崩も起きる.8月には冷気が入り,米が実らず不作となる.妹川,新川,田篭,小塩,星野の各村に拝借米(返済義務あり)が支給される.
天保8年(1837) 1月大雨で麦生村山崩れが起こる. 4月に雹が降り,大きい雹は茶碗ほど,小さい雹は梅干しほどであった.8月12日大雨洪水になる.
天保9年(1838) 筑前・筑後で6月27日より大雨,28日筑後川筋で大洪水.生葉,竹野,山本郡で人家流出.
天保11年(1840) 6月筑前,豊前大洪水が発生する.宝満山の山汐で15名死亡.6月4,5日巨瀬川増水で吉井町が浸水する.
天保14年(1843) 9月3日大風。肥前・筑後の被害が大きく,台風による高潮が久留米瀬ノ下まで上り大騒動となる.
嘉永3年(1850) 6月1日大雨で筑前怡土郡,鞍手郡の山汐で多くの死者が出る.筑後も12日まで水が引かず,苗が腐ったとの噂があることを博多の豪商が記している(加瀬家記録).豊後夜明(祝原村)で大肥川と筑後川の合流地点の歌詠橋が流出する(※広瀬淡窓日記).8月7日台風上三郡で被害.
嘉永4年(1851) 6月29日大暴風雨で巨瀬川が氾濫,堤防が決壊して吉井町が浸水する.耳納山筋で山汐発生.
安政元年(1854) 11月5日安政南海地震(震源:四国沖),7日も豊予海峡地震(M7.4)が起こる.筑後は諸国に比べて被害は軽く,家が倒れることはなかったが大きく揺れる.九州では豊後で大きな被害が出る.
安政5年(1855) 5月23日筑後川,6月29日暴風雨で樹木を倒す.
安政6年(1856) 6月4日洪水で長野仮橋が流失する.また,巨瀬川も大洪水,吉井町とその周辺が浸水する.
萬延元年(1860) 4月8,9日筑後川洪水で長野水門破損し,吉井が浸水する.水が長野水道堤防上の道を越流して,石垣崩落する.また,5月15日大生寺で江戸時代3度目の山汐が発生する.6月10日大風.
慶応元年(1865) 5月10日筑後川洪水で大石仮堰が損壊する.
慶応2年(1866) 6月3日大暴風雨で筑後川氾濫,久留米城下が浸水する.また巨瀬川氾濫で吉井町が浸水する.
明治17年(1884) 7月17日筑後川,巨瀬川で洪水. 9月17日の台風で大生寺の本堂が倒れる.
明治18年(1885) 6月18日筑後川稀なる大洪水.被害地域は広範囲で筑後川周辺の村々に及ぶ.この時,千年村で約7.5mの水位に達し,多くの家屋が浸水する.船越村も同様の被害となる.
明治22年(1889) <筑後川三大洪水> 7月5日未曾有の洪水となり,瀬ノ下と角間で約8.4mの水位に達する.筑後川周辺の被害は,死者52人,家屋流失1,263棟,家屋破損8,207棟,浸水家屋26,238棟に達する.現在のうきは市では,角間堤防が決壊し,船越村と千年村で大きな浸水被害となる.また,巨瀬川の氾濫で,耳納山麓を除き,濁流が襲って一面泥海と化した.
明治33年(1900) 7月16日,巨瀬川の氾濫で多くの橋梁が流失する.
大正2年(1913) 4月25日大雨洪水で巨瀬川の堤防が決壊し,吉井町で131棟の浸水被害が出る.
大正10年(1921) 筑後川三大洪水> 6月17日筑後川洪水で,浮羽郡では家屋・橋梁流失,堤防決壊等の被害が多く出る.
大正11年(1922) 7月2~4日大雨洪水.吉井町で141棟の浸水被害,道路・堤防の損壊などの被害が出る.
昭和6年(1931) 7月17日巨瀬川の氾濫で堤防決壊し,多くの家屋が流され,吉井町の浸水被害は100棟に及ぶ.
昭和10年(1935) 7月15日の大雨で巨瀬川が氾濫して,浮羽郡で多くの浸水被害を出す.
昭和13年(1938) 6月12~14日大雨,筑後川洪水,吉井町で床上浸水17棟,床下浸水207棟,堤防決壊17箇所.
昭和16年(1941) 6月25~28日大雨,筑後川洪水,吉井町で床下浸水558棟,堤防決壊5箇所.
昭和21年(1946) 7月8日大雨で巨瀬川が氾濫し,朝田地区などの村々が浸水,屋形地区で土石流が発生する.
昭和28年(1953) <筑後川三大洪水> 西日本大水害: 6月25日午後から雨が酷くなり,27日にかけて降り続き,筑後川とその支流の隈上川,巨瀬川などが氾濫し,橋梁(恵蘇大橋など),民家を押し流し,至る所で堤防が決壊する.その影響で吉井町、浮羽町の低地部が浸水する.中でも,筑後川の中州,中島畑(現在のスポーツアイランドがある地域)の上流部(船端集落)と下流部(中島集落)は壊滅的な被害となり,集落は消滅する.一方,耳納山麓でも延寿寺を中心に土石流による被害が甚大であった.
昭和34年(1959) 7月6,7日大雨,吉井で2日間雨量が364㎜に達し,巨瀬川,美津留川,災除川が氾濫する.
平成3年(1991) 台風19号で家屋,果樹園の被害があった.耳納山地で風倒木が多く発生する.
平成7年(1995) 5月1日大雨,筑後川の増水で久留米市の男性が死亡する.田主丸駅近くの線路の土砂が流出し,JR久大本線は終日運休する.安富地区で土石流が発生し,一部で床上床下浸水が起こる.
平成24年(2012) 平成24年7月九州北部豪雨: 梅雨前線が停滞して矢部川に沿って豪雨となり,八女市を中心に深刻な浸水被害となる.うきは市では,東部の田篭を中心に大きな災害(犠牲者1名)となり,田篭,小塩,鹿狩,つづらなど集落が孤立する事態となった.線状降水帯が矢部川,星野川に沿って東西に停滞したことが豪雨の原因である.