災害記録(うきは市福富校区)

 

 享保5年7月九州北部豪雨の際,現在の福富校区内の安富村,屋形村,延寿寺村では,大きな岩・土砂・流木が流れ込んできて,人家が全壊し,50名以上の犠牲者を出しました.人的被害の記録によると,身元がわからないほど犠牲者の損傷が激しかったこと,目を背けたくなるような家族の悲話も伝わっています.以上のように,福富校区内の村々は,筑前国・筑後国の中で最も被害が大きかった地域です.筑後川を隔てた朝倉の南淋寺が所蔵する「医王山南淋寺縁起」には,安富村と屋形村の惨状が詳しく語られ,村から避難する人々の惨状を見て戦国乱世の落ち人のようだと記しています.以上のような歴史的な事実を見ると,人々は土石流(山汐)と向き合って暮らしてきたことが伺えます.その事実は先祖からのメッセージと捉えて,豪雨が予想されている際には,雨が強くない内に,避難が可能な状況で,早めに安全な場所に移動するなど,安全確保を心掛けてください.

 

 享保5年7月九州北部豪雨による被災村落と現在の災害リスク

 享保5年7月九州北部豪雨で被災した村落が,現在どの程度の災害リスクがあるのかについて,下記の地図で確認できます.該当地域にお住いの方は,自宅が土砂災害警戒区域に入っているかを確認してみてください.

注意事項①:

下の地図の浸水域は,耳納山地で降った豪雨が巨瀬川を氾濫させる恐れがあることを考慮して,巨瀬川氾濫による想定最大規模の浸水域(うきは市)のみを示しています.筑後川水系(全域)の浸水域に関しては,下記のうきは市ハザードマップ,重ねるハザードマップをご覧ください.

⇒ うきは市ハザードマップ

⇒ 重ねるハザードマップ(国土地理院)

地図の見方については ⇒ こちら

注意事項②:

下記地図上(Google my mapにより作成)の各村落(丸印)をクリックすると,享保5年7月九州北部豪雨による災害の特徴についての説明を見ることができます.但し,画像・説明を同時に見ることができません.確認が煩雑になるので,詳しく知りたい場合は,下記の「各村落の被害状況」から,確認したい村落にアクセスしてご覧ください .

 

 

 

 

 

 各村落の被害状況(下記の村名をクリックすると詳細が確認できます)

※ 原文(くずし字),翻刻文,現代語訳,各地区のトピックは下記をご覧ください.

※ 各村落の位置については上の地図で確認ください.

 

 

地区(当時の村名) 被害状況・内容
冠村 現象:猿ヶ口谷からの土石流
建物:人家は砂・石に埋もれる  田畑:多く破損
死者:なし,但し,命の危険が迫る状況で助かっている
馬 :被害なし

<内容>
① 現代語訳 原文・翻刻文
② 土石流を引き起こした谷はどこ?
千代久村 現象:土石流
建物:-------  田畑:------
死者:なし  馬:被害なし
但し,石原家記によると,かなり破損していることが伺える

<内容>
① 現代語訳 原文・翻刻文
② 他の文献から見た千代久村の被害状況
屋形村 現象:土石流,石川原,3~6mの土砂堆積
   大体600m四方は石・砂・流木に覆われる
建物:家財道具散乱(人家埋没)
田畑:全滅
死者:10人(石に当たって死亡)
   1週間後で亡くなる人数十人
   最終的な死者数は不明 
遺体の状況: 遺体の判別不可能
(現在で言うDNA判定をしないと誰なのかわからない)
重傷者:多数
悲話:大切な家族,家をなくして右往左往する人々の描写
馬 :3匹死亡

<内容>
① 現代語訳 原文・翻刻文
② 屋形村の惨状
③ 昭和21年(1946)7月8日 西屋形の土石流災害
安富村
(最大の被災地)
現象:土石流,大石流出,石川原,
   4.5~4.8mの土砂堆積(別文献:有馬文書記録より)
建物:人家は谷底にひっくり返る,または土砂埋没
   30数棟のうち人家3棟のみ残る
田畑:記載はないが,石川原になったことから全滅と考えられる
大木:根こそぎ倒れて散乱,その上に石砂覆う
死者:30人(石に当たって死亡など) 行方不明者:2名 
遺体の状況: 28名の遺体の判別不可能
(現在で言うDNA判定をしないと誰なのかわからない)
負傷者: 砂に埋もれて足がズタズタになった女性
悲話:首のない我が子を必死に介抱する母親の話など
馬 :13匹死亡

江戸時代後期の弘化4年(1847),郡奉行の木村重任が筑後の村々を巡ってインタビューした際に書き留められた「 延村書留 」によると,享保5年の被害は下記の通り:

死者:村民86人中46名死亡(壊山物語での死者30名,関連死が十数名?)
土砂堆積:村内(約3.6m),山辺往還北側(約120cm)
     ,山辺往還南側(約60cm)

<内容>
① 現代語訳 原文・翻刻文
② 安富村・屋形村 土石流による大惨事 人々の悲しみと絶望
③ 医王山南淋寺縁起に見られる安富村・屋形村の惨状
④ 安富村はどこにあった?
⑤ 享和2年(1802)の土石流災害
⑥ 昭和28年(1953)6月26日 富永地区(屋形,安富)で土石流発生
延寿寺村 現象:土石流
建物:人家58棟が砂石埋没,家財道具流失
田畑:全滅
死者:7人,命の危険が迫る状況で助かった人もいた
遺体の状況: 遺体の判別不可能
(現在で言うDNA判定をしないと誰なのかわからない)

<内容>
① 現代語訳 原文・翻刻文
② 昭和28年(1953)西日本大水害 延寿寺地区で土石流発生
③ 延寿寺地区にある避難所の災害リスク
屋部村 現象:土石流(石原家記によると,谷筋より大石流出
   と記されているので土石流と判断)
建物:人家の破損中程度  田畑:無事   死者:なし
但し,石原家記によると,かなり破損していることが伺える

<内容>
① 現代語訳 原文・翻刻文
② 他の文献から見た屋部村の被害状況
大村(千年校区)大村復興碑 <内容> 享保5年7月九州北部豪雨
① 大村復興碑のメッセージ(大村全滅)
② 深迫谷土石流と巨瀬川の氾濫
吉井町(吉井校区)高橋大明神 内容 享保5年7月九州北部豪雨
① 高橋大明神(現:高橋神社) 社殿流出
② 吉井地区の巨瀬川に沿った家屋倒壊・流失リスク